クロユリ団地観たよ。

タイトル通りクロユリ団地観たよ。(半日ぶり2回目)。気に入ったんかって言われると全くそんな事はないけど、1回目の試聴態度がいくらなんでもあまりにも悪かったから。観たよ。

2回目ということで1回目の反省を活かして最初から音量は33。ビックリ系がないことを知っているから、ビビりながら目を細めてみる必要もない。要は強くてニューゲームってワケよ。はい。

あと、見てなかった予告編も観たよ。凄まじいネタバレの。あの映画は「隣の部屋で亡くなったじいちゃんが私に対して怒っている!…のではなかった!実は近所のキッズがロクでもない悪霊だった!やば!」っていうどんでん返しがキモ(やんね?)なのに、予告の時点でどうもノボルくんが怪しいのが分かっちゃ意味ないじゃん。これではなんというか…なに?何よ。隠し味を公言しているカレー屋みたいなもんじゃん。しかもそんなに美味しくない。ヤバ。PNPさん観てこいよお前。映画で1番大切なのは予告編だってPNPさん言ってただろ。

違う違う脱線した。2回目観て思ったことなんかをまとめていくよ。正直、はーん?なるほどな?ってなるシーンもまあまああった。けど多分同じ映画を何回も観る人はこの映画を観ないし、この映画を観る層は何回も観る層じゃなくねえ?というのがとても残念。

  • 家族のシーンは正直メチャウマ。冒頭、時計をもらった時の前田敦子の反応は「ちょっと子供っぽい」親からすると「大人っぽい」弟からすると「俺とそんな変わんないくせに」。家の中では前田敦子は小学生のままなんやな。んで、映画を通してずっとなんやけど前田敦子と家族は同じ画面に入らんのよね。これも「同じ時間にいない」ってことなんやろう。感心した。けどこれお前1回目では分からんでな。もったいな。
  • 1回目はビクビクして気付かれんかったけど、じいちゃん家には妙に写真が多かった。あれも前田敦子成宮寛貴同様に(成宮寛貴の彼女は亡くなってないけど)亡くなった家族を想っている=時間が前に進んでいないということかな。そこにつけ込むんかなあのキッズは。
  • 警官の「面識あったんですね。」は続く「誰か気付いてあげられれば…。」とコンボで、何のことはない前田敦子にプレッシャーかけるためのセリフやんな。これで前田敦子にも俺にも「気付くことができなかった」という罪悪感を植え付け、「恨まれていても仕方がない」という認識を持たせる。それだけ。
  • ミノルくんの「今度はお姉ちゃん家で遊んでもいい?」とかドアを開けてもらわないと家に入れないところは吸血鬼に似ている?家に招き入れることで、受け入れて生者と死者の時間が曖昧になる…とかそういったトリガーなんかな。何にしても家に招き入れるというのは特別な行為であることは間違いない。
  • ↑でもよ?でもでも「霊は場所ではなく人に憑く」のであれば、最初にミノルくんに話しかけたあれがトリガーで、家に上げることは関係なくねえ?っても思う。そこの一貫性がイマイチないよね…。
  • 家帰ったら家族がいないシーン。ここでガラケーはそもそも使えないことが発覚!なら分かるけど普通に使えるのがなあ…。成宮寛貴スマホを使っているから、2013年当時は普通に過渡期だったんかもしれんけど。俺も当時ガラケーだったし。
  • 流石に様子がおかしいことに気が付き、前田敦子の実家(叔父叔母宅)を訪ねる担任。えっそれだけ。これ担任が聞きに行ってもしょうがないんじゃ…
  • 時計も「時間」に重きをおくこの作品では重要なアイテムなんかな。しばしば無意味に出てくるクロユリよりよっぽど重要な気がする。クロユリ花言葉は呪いの団地…ってそれだけじゃんね。
  • 作品を通してのテーマは時間。「生きている人の時間は進むが死んでしまった人の時間は止まったまま」。故に映画のラストで壊れてしまい、過去に囚われてしまった前田敦子は時間が止まった=死んでしまった、殺されたということなんだろう。成宮寛貴は焼かれてしまったけども…。

拾いきれてないところもあるけど、好意的に観るとこんな感じですかね。何度も言うけどビックリ系がなかったのとエンディングがやたら元気で明る曲でもなければメタルじゃなかったのが本当素晴らしい。マジで素晴らしい。

ただ、キャッチコピーの「誰か、僕と遊んで。」で無差別殺人ってのは意味わからんよなあ…。最後の焼却炉でのチャッもといミノルくんの表情もイマイチ分からんし。難しい演技ではあろうけど、そこを何とか…ね。せめてあの謎ライトと火傷のメイクさえなければ…。不完全燃焼(不謹慎なのやめてもらっていいっすか)気味ではあるけど、まあまあのまあまあでした。

 

んで前回書いた「アイドルから女優に転向する際、必ず最初にホラー映画に出演するって不文律でもあるんすかね。」の答え合わせ。「企画:秋元

 

犯人はヤス!!

 

以上。